先日、こんなことを書いたところなので恐縮なのですが、やめる勇気ってすごいですよね。
かつて和歌山県の山間部で400年だか500年だか続いているという伝統行事がありました。
確か、五穀豊穣を祈るものだったと思うのですが、過疎化で行事を司る人が激減し続けられなくなったとして数年前になくなってしまいました。それほど長く続いていたのに、そして地域にとっては心のよりどころの一つにもなっていたであろう行事を「やる人がいないから」とスパっとなくしてしまった地元の方の勇気に感動したことを覚えています。
地元の方に話を聞いたわけではないのであくまで想像ですが、行事を取りやめるという決定の裏には様々な思惑があったのだと思います。ひょっとしたら激論が交わされたのかもしれません。開催日だけでも都会から人を引っ張ってくれば続けられるのではないか、という想いもあったかもしれません。でも地域の人が下した決断ですから、わたしたちはそれを尊重しなければなりません。外からやいのやいのいうものではありません。
伝統行事がなくなるという事例は和歌山県内でも既に数件あるようですが、今後ますます増加するものと思われます。地域に暮らす人が減り、そのイベントが実現困難になったとき、そのイベントが意味をなさなくなったとき、地域に暮らす人はそのイベントをどうするのだろうか、と。
現在はほぼ廃村になった集落の歴史を丹念に取材し、Xに投稿されている方がいます。その方の投稿をみると、主がいなくなったはずの集落の寺社仏閣は今でもきれいに整備されていたり、決まった日には元住民が戻ってきてその集落に代々伝わる神事などをやったりしているケースも少なくありません。こういう話題になると「ここに来られるうちは続けますよ」という話になりがちですが、それも「ここに来られるうちは」であって、いつまで続けられるかわかりません。
別のところでも書きましたが、地域でおこなわれている取り組みや事業は、(1)法律や条例など法令に基づき義務付けられているもの、(2)地方自治体等の要請により地域でおこなうことになっているもの、(3)歴史上の慣習などでおこなわれているもの、(4)まちおこし・むらおこしなどの観点から比較的近年からおこなわれているもの、の4つに大別できるのではないかと思います。(1)(2)はどうにかなるかもしれませんが、(3)(4)に関しては、担い手がいなくなったらどうするか問題がすぐに勃発する案件です。
役所も地方もやらないといけないことは増える一方なのに人手は減る一方。それじゃ負担は増すばかり、というのは傍にいるとすぐわかる話なのですが、その渦中にいらっしゃる方にとってはそれどころじゃないわけです。目の前のことで一生懸命なのですから。どこかで外部の視点も交えつつ、抜本的に見直さないと、その地域は力を失っていく一方じゃないか、と思うのですが、なかなかそうはいきません。半ばアンタッチャブルになっている感すらあります。
そういう意味でも、先に述べた「伝統行事の廃止」は個人的にエポックメイキングだったのです。
そろそろ、地域のイベント、見直しませんか。維持できないのであれば、やめる勇気も時には必要だと思うのです。