
先日、個人のFacebookで取り上げて大きな反響があったのが、内閣府が発表した「孤立死者数の推計」です。警察庁が昨年から、その前年に警察が取り扱ったご遺体のなかで、自宅で見つかった一人暮らしの方の人数を公表するようになったのですが、そのなかで、死後8日以上経過しているとみられる事案を「生前に社会的に孤立していたことが強く推認される」として件数を推計し、発表したのです。
この「8日」という日数がこの事案を説明するために妥当かどうかは内閣府も断定はできないとしています。ただ、少なくとも1週間は誰とも接触する機会がなかったと考えられるため、社会的に孤立の状態にあったと推認します、ということのようです。もちろん、第三者が連絡を取ろうとしたが連絡がつかず、そのまま放置されたというような事案も含まれているはずで、これだけで社会的に孤立だったとは言い切れないことには注意が必要です。
ということで、この定義に基づいて集計したところ、昨年1年間で、全国で2.2人の方が死後8日以上経過した状態で発見されたということです。
この数字を多いとみるか、少ないとみるか、いかがでしょうか。
仮に人口比で和歌山県に置き換えてみますと年間約150人、2日半に1人程度の頻度で上記の状態のご遺体が発見されるという計算となります。そう考えると「少なくはない」とお考えになる方が多いのではないでしょうか。
先日、人権研修の一環で、大規模災害発生時の人権について考えるシンポジウムの録画を視聴しました。東日本大震災で亡くなられた方の多くは大津波で犠牲になった方です。録画のなかで、識者が指摘していたのは「津波に飲まれ、誰にも看取られることのなかった死に尊厳があるだろうか」ということでした。
津波にのまれて亡くなる方は「誰にも看取られることがほぼなく」亡くなり、ましてや「身体の一部が欠損することも珍しくない」といいます。仮に大きな災害に遭ってお亡くなりになったとしても、最期まで尊厳のある生き方をされたことがわかれば、それが残された人(家族に限らず知人や近所の方なども含めて)にとって救いになる、という考え方が急速に広がっているようです。そういう意味からも、津波から逃げることは常日頃訴えておくべきだということなのだといいます。
その話を聞いた後だけに、誰にも看取られることなく命が尽きることは、その方にとって尊厳ある死といえるのか、と思うようになったのです。「一人暮らしは誰にも気を遣わず済むので気楽でいいや」という声もよく聞かれます。しかし、いざ最期の瞬間が一人ぼっちと考えるに、周囲(もちろん家族とは限りません)に大きな気を遣わせ、大きな落胆を呼ぶことになりかねません。これが尊厳ある死であるかといわれるとそうじゃないよなぁ、と思うのです。
先の内閣府の推計では年代別・性別の数字も明らかになっています。年代としては70代が最も多く、性別では男性が8割を占めるのだそうです。つまり70代の男性がもっとも社会的孤立したまま亡くなられる可能性が高い、ということです。
こうした事案を防ぐために、地域の見守り活動が活発におこなわれている地域も増えてきているように思います。地域ごとに様々な工夫で安否確認をおこなうようになっています。厚生労働省も独居の方の生活支援、終活までも視野に入れた新しい制度の提供を検討しているといい、自治体や社会福祉協議会のほか、NPO・ボランティア団体もその担い手として期待されています。
そうした事業に、多くの独居の方に参加していただこうとするならば、やはり地域の人との関係性の構築は欠かせません。一方、地域との関係性の構築を苦手と感じる方もいらっしゃるでしょう。そして、男性のほうが苦手意識を持立てる方が多いようなイメージがあります(もちろん、女性にも苦手意識を持つ方はいらっしゃるでしょうが、「地域の居場所」において女性のほうが参加が多いという実態もありますので…)。
最近では、比較的簡易な方法として、スマートフォンに通知を定期的に発信し、その通知を見たか見ていないかを把握し、見ていない方には別途連絡を入れる、というような手法も比較的容易に取れるようになってきています。スマホを持っていない人はどうするんだ、という話もありますが、今やご高齢の方でもスマホを持っている方は過半数を超えているといいます。もう待ったなしの状況下ですから、できる方から進めていく方法もあっていいんではないかと思います。
これから10年20年先になると就職氷河期世代が70代に入ってきます。就職氷河期世代は他世代に比べて独居の方が比較的多いとされます。地域の見守り、安否確認に向けた取り組みをいっそう進めることが大事なのではないかと思う今日この頃です。
