
かなり前のことですが県内某所で、いわゆる「地域の名士」といわれるような年配の方とお話しする機会がありました。
昨年、病気で入院されたそうですが、今回お会いした時はお元気そのもの。お会いするのは十数年ぶりですが、わたしのこともよく覚えてくださっていましたし、その十数年前に関わらせていただいたときのことも昨日のことのように思い出してお話しされていたのが印象的でした。
話が進むと、「もう同世代も、自分より若い世代も徐々に亡くなっていってるんや」と。
わたしが存じている方も何人かお亡くなりになっていたようです。また、コロナ禍で交流が一時的に途絶えたことをきっかけにここ数年姿を見かけておらず、生きているかどうかもわからないという方もちらほらいらっしゃるといいます。「こうやって昔のことを話そうにも、話す(話せる)相手がおらへんのや」というのが少し寂しそう。
「もう、年も年やから少しずついろんな役を辞め始めているんや」と笑いながらも、「あの団体ではこうやった」「この団体ではこうやってなぁ」と昔のことはよく覚えてらっしゃいます。楽しい思い出も、苦い思い出もいろいろ教えてくださいました。一方で、「その団体はもうすぐ役割を終えるから、その時点で団体を閉めようという話をしている」とか、「こっちの団体では代表を交代しようにも引き受け手がいない」とか、そういう話題もちらほらと。そんななか、その方が経験してきたこと、そのなかで後世に伝えていくべき案件が他の方に十分引き継がれているのかも少し気になりました。
いうまでもなく、現在の人口のボリューム層は団塊の世代で、そこを頂点に上下の世代に進むほど人口は少なくなっています。地域がまだ元気で活発だった時にバリバリ現役だった世代が高齢になってきて、過去に何が起こっていたのか、どうしてその活動を始めようとしたのか、など様々な知識や経験を次の世代に引き継ぐ術が十分なのか。想いが綴られた機関紙や通信のようなものがあればまた別ですが、書類で残されていることは事務的なことが多いはず。そしてその書類も膨大な数になれば保管期限などもありますから、そのすべてを継承するのは難しいはず。
何より、書類には残されない、人と人の関係、そして関係性があったからこそできたことなど、口述での伝承はより難しいのではないかと危惧します。
少し前に、ブログサービスが続々閉鎖されて、ブログに蓄積されていた、あまたの集合知が消えてしまったのではないかという話題がありましたが、地域の各種団体でも同様なことが起こり始めているような気がします。
かといって今の私たちにできることにも限界がありそう。なにか悶々とした気分が残る昼下がりでした。
